海外生活体験者・社会人インタビューvol.59〜前編〜

interviewee_s_150_profile.jpg 吉岡利代さん。東京に生まれ。中学3年まで東京に在住するが、高校1年のときに、父親の転勤で、アメリカ・ワシントンDCへ。高校3年間を過ごす。国際関係に関心をもち、Academy of the Holy Cross卒業後は、ボストンのタフツ大学へ進学し、国際関係論を専攻、3年次にはイギリスのオックスフォード大学へ交換留学する。06年に卒業後、帰国し、2年間ゴールドマン・サックスの投資調査部に勤務。08年8月から、国連難民弁務官事務所UNHCR在日事務所で働き、09年4月からHuman Rights Watchのスタッフとなり、日本政府に対する政策提言を行っている。

陸上部のキャプテンに選ばれる

―高校での生活はいかがでしたか?

最初は語学ができず、ついていくのが難しかったので、勉強が大変でした。ただ、現地の生活に慣れてからは、楽しかったですね。地元の女子校だったので、海外生も私を含めて3人ほどしかいなかったんですが、地元の女の子たちに紛れ込んで、授業を受けていてすごく楽しかったです。現地の人もすごく暖かかったという印象です。

―授業以外で力を入れていたことはありますか?

陸上とクロスカントリーをやっていたのと、あとは、インターナショナル・クラブのようなところで、日本文化の紹介をやっていました。ただ、一番力を入れていたのは授業です。ついていくのが大変だったので。

―海外生がいないということはESLもなかったんですか?

なかったですね。1年のときから国語の授業として英語の授業を受けていました。来た当初から、シェイクスピアとかを読まなければいけなかったので、最初はもうわけがわからなかったのですが、日々の宿題をこなしていくうちに、だんだん語学もできるようになっていきました。また、日本語をしゃべる機会もなかったので、すごく自分の英語力のためになったとは思います。

―高校3年間で印象に残ったことはありますか?

高校3年生のときに、陸上部のキャプテンに選んでもらったことです。そのときは、うれしかったですね。3年目にして、みんなと対等の立場に選んでもらえたということ。それまでは、海外生という違う土台に立っている感じでした。それが、キャプテンに選ばれて、陸上クラブのなかでは、対等に見てもらえたということが、本当に嬉しかったです。

いろんな国のひとの中で国際関係を学ぶ

―高校卒業で日本に帰ろうとは思わなかったのですか?

やっぱり、いろんな国の人と一緒に勉強できるというところが大きかったです。もちろん、日本の大学でも留学生の方はいっぱいいるとは思うんですが。やはり、アメリカの大学の方が国際性が高いということが大きかったです。大学選びも海外生の比率が高いところを選んでいて、タフツ大学は2割から3割が海外生でした。そこにまず惹かれたことです。

あとは、高校生のときから国際関係を勉強したいと思っていて。いろんな国をまたぐ仕事に就きたいという夢もありました。その土台を築くためにも、大学で国際関係を勉強しようと思って、国際関係の良いプログラムがあることを、もうひとつの大学選びの基準にしました。

どこにいいプログラムがあるのか探していたんですが、授業の内容としても、授業以外の面、たとえば、教授やほかの学生との出会いという意味でも、アメリカの大学の方が良いプログラムがそろっていました。

―実際に勉強されてみてどうでしたか?

国際関係と経済学をダブルメジャーにして、そのなかでも、専門は開発経済をやっていました。将来的に国際協力を仕事にしたかったのですが、国際協力に似た授業がなくて、それに一番近い授業が開発経済の授業かなと思い、開発経済を中心に勉強していました。あと、卒論は日本のODAについて書きました。

―一番興味深かった部分はどの分野ですか?

開発への市民社会の取り組みです。卒論のテーマも日本のODAに日本のNGOがどれだけ関与しているかという内容でした。日本のNGOがどれだけ影響力を持てるかというものです。

―実際のところ影響力はどの程度なのですか?

その当時は、日本のNGOが政策提言や自分の意見を表明する土台が出来上がりつつはあったものの、影響は大きくないというのが結論でした。意見は聞くけれど、反映はされていない。今は改善されつつあるのですが、急に影響力が大きくなったわけではない。

―アメリカの大学は教授と学生が対話するという少人数制なのですか?

2年次からはセミナーがあって、15人とか20人くらいでしたね。ただ、1年生のときのイントロのクラスなんかは、100名以上で勉強するというという感じです。

寮生活と競技ダンス部、そしてイギリスへ

―寮に入っていらっしゃたんですよね?
 
4年間ずっと寮生活だったのですが、すごく楽しかったです(笑) 1、2年生のときは、アメリカ人の女の子がルームメイトでした。3年目はイギリスにいたので、一人部屋の寮に住んでいました。4年生のときは アパートみたいな寮に10人で住んでいました。チャイニーズハウスという名前で、中国からの留学生や、中国語を勉強している人、中国に興味のある人が住んでるんですね。その中にはダブルルームとシングルルームがあって。私はダブルルームで、中国系アメリカ人の女の子とルームシェアしていました。いつもわいわい大騒ぎで、毎週末パーティがあるという感じでした。

―勉強以外で力をいれていたことはありますか?

私は競技ダンス部に入っていました。(競技ダンス部というのは、ひらひらの衣装をきてやるやつですよね?)そうです、昔、ウッチャンナンチャンがテレビでやっていた、あのダンスです(笑) 部活だったのでそれこそ、毎日練習がありました。ボストンに大学があったので、ボストン近郊の大学に試合をしに行ったり、自分の大学にほかの大学のダンス部の人たちが練習をしにきたりしていました。

あとは、部活ではなくサークルみたいなもので、ジャパニーズ・カルチャー・クラブというのがあり、それに入っていました。このクラブでは日本文化を紹介する活動をしていました。そのほかには、ボランティアのクラブをやったり、学校内で日本語を教えたりしていました。部活動みたいなのはいっぱいあるので、ちょこちょこやっていました。けれど、一番時間を割いたのは社交ダンスですね。

―日本人は多いんですか。

あまり多くない。一学年に5人くらいしかいないです。全部あわせて4、50人。日本人は海外生の中でも少ない比率でした。日本の金沢大学と提携校で、金沢大学からの交換留学生が毎年1人いました。

―イギリスに留学しようと思ったきっかけは何ですか?

アメリカの高校に3年間通い、大学もアメリカの大学に通っていたので、合計5年アメリカにいました。ずっとアメリカにいたので、1年くらいヨーロッパから世界を見てみてもいいかなと思ったんですね。中国語を勉強していたので、留学するときに中国に行くか、イギリスに行くかで迷っていたんです。でも中国に行っても、語学を勉強して終わっちゃうから、どうせ行くなら勉強できるところに行こうと思った。そうなると、英語圏になってしまうなと思って、ヨーロッパに行ったこともないし、いい機会だなと思ったので、イギリスに行くことにしました。後編はこちら>>
秋山雪乃。1986年京都府生まれ。中学2年まで日本で過ごし、その夏に渡米。カリフォルニア州サンディエゴ・アーバインなどに滞在し、高校2年の年に 一 時帰国。その夏、再び渡米。University High Schoolを卒業し、帰国後、早稲田大学法学部に入学。1年休学して北京語言大学に留学し、現在4年に在籍。憲法水島ゼミ所属。学生NGOチャオに所属し、中国ハンセン病療養者村でのボランティアに従事している。