海外生活体験者・学生インタビューvol.167

interviewees_s_241_profile.jpg 洞樹玲杏さん。1990年カルフォルニア州トーランス生まれ。Palos Verdes Peninsula高校に入学してから多くの帰国子女に出会い、日本の大学に興味を抱く。高校2年生の後半で遅れながらも受験を決意して2009年に来日する。慶應義塾大学経済学部入学。大学ではYSTスノーボーディングチームや株式研究会に所属。

アメリカ生まれの日本人

―早速ですが、生まれ育ちはどこでしたか?

アメリカのカルフォルニア州のトーランスで生まれました。ロサンゼルスを転々と動き回りましたけど、最終的にはパロスバーデスの閉鎖的なコミュニティで育ちました。

―子供の頃はどんな感じだったのでしょうか。

好奇心に満ち溢れる子だったと思います。常に自分が経験していないことにチャレンジする精神を持っていました。小学校までは、駐在員の家族が多くて、常に新しい友だちや人間関係をつくることが求められていました。もちろん、アメリカ人の友人もいましたが、家に遊びに行くほどの仲ではなかったんです。

―なぜアメリカ人の友人と仲がよくなかったのですか?

子供の頃は、親同士の付き合いが、かなり友人関係に影響されるからだと思います。特に仲が悪かったわけではないのですが、母親が英語が得意ではなかったこともあって、それがひとつの壁のとなりました。しかし、自分はアメリカで生まれたので、アメリカ人という自覚もあったため、英語の勉強をしっかりして、日本人の友だちから離れた時期もありました。

―小学校の頃に印象的だった出来事ってあります?

一番印象的だったのは、小学5年生の頃に、日系人のコミュニティが存在することに気づいたことです。それまで自分と同じ境遇の「アメリカ生まれの日本人」に出会ったことはなかったのです。5年生に進級したときに、クラスが一緒になって、知り合うことができました。住んでいる地区が一緒だったので、一緒の中学校にも進級しました。

『火垂るの墓』と『パール・ハーバー』

―中学校の生活はどのようなものでしたか?

地区の問題もあって、小学校からとても離れた場所に移りました。選べる中学校は3つありましたが、多くのアジア系の人々が通うRidgecrestとその他の中学校に分けられました。僕はその他に分類されていたMiralesteに通っていて、他の小学校からの人たちも多かったため、とても新鮮な学生生活を送ることができました。

中学校に上がると同時に、かなりの責任感が問われます。学校もホームルーム式から生徒が移動する形式に代わり、自分のロッカーがひとつ与えられて、その管理も任されます。僕も何度か時間割を間違えて、4限目に遅れたことが苦い思い出です(苦笑)

中学校を単体として見てみますと、特徴的にはアジア人が少ない学校でした。ほとんどのアジア人がRidgecrestに行ってしまったため、日本人は自分を入れて片手で数えられるほどの人数でした。ましてや、日本語を流暢にしゃべることが出来る日本人は、小学校の頃からの友だちだけでした。

―中学の頃だと人種差別とかの問題は起きません?

はい。中学校の頃になると、人種の問題を自覚するようになります。メキシコ人や白人が過半数を占めていて、黒人も他の学校に比べると比較的に多かったです。そのため、人種別のグループに固まるようになってきました。ただ、アジア人は勤勉で真面目だったために、あまり差別を受けることがなく、むしろ勉強を教えて欲しいと頼まれるくらいでした。

一つ印象的な出来事がありました。文学の授業中に『パール・ハーバー』を観覧したことです。アメリカ生まれの日本人としては、第二次大戦はとても複雑な出来事でした。子供の頃に『火垂るの墓』を見たこともあり、両方の視点から戦争を見ることによって、感情が揺さぶられて、思わず授業中に泣いてしましました。

この出来事がきっかけで、自分のアイデンティティが形成され始めたと思います。家ではすべて日本食で、子供の頃から限りなく日本の子供に近い環境で育てられたんです。しかし、学校では英語漬けの生活を送り、アメリカ人としての教育を受けてきました。そのため、自分が何者であるのかと問い始めるアイデンティティの危機がありました。

自分のルーツへの想い

―高校に入学してからは何か変わりましたか?

高校はRidgecrestの近くにあったため、人種の比率が見事逆転しました。中学から続けてきたテニスをしようと思ったのですが、スポーツはシーズンに分けられていて、秋学期から始まることがわかりました。仕方がなく、春学期では体を鍛えるためにクロスカントリーを始めました。

当時、クロスカントリーというスポーツを全く知らずに入部したのですが、練習の一日目に驚くほど走らされた印象があります。ウォームアップとしてグラウンドを3、4周、それから3kmのワークアウトが始まったのですが、グラウンドを走るだけでもばてていて、とても3kmを走れるとは思いませんでした(笑)

クロスカントリーを選択した日本人が多かったため、日本語を使う機会が激的に増えました。最初はあまり打ち解けることが出来なかったのですが、練習を頑張っていると9thの足の早いグループに入れられて分けられて、一緒に遠方で試合をすることもあり、馴染むことができました。

―日本の大学に進学することはいつ決めたのですか?

正直に言うと、日本の大学は東大や早稲田を除くと全く知りませんでした。11年生になって、大学を検討する時期になり、日本人の友人をあたったりすることで、日本の大学の情報収集をしました。慶應は3年で卒業をして受ける友人がいて、初めて名前を知りました(苦笑) 親が生まれ育ち、自分のルーツがある日本という国をもっと知りたいという思いが強くなって、日本の大学に進学することを決意しました。

日本はサブカルチャーの国

―高校まで日本語を使う機会がなかったようですが、日本の大学の対策は大丈夫だったのですか?

日本の大学を検討し始めたのは時期的に遅かったかもしれませんが、アメリカの大学と同様にSATの点数が求められていたから、それほど問題はありませんでした。しかし、字数制限がある小論文を書いたことがなかったため、小論文を書くのが最も苦労したことです。ネタを収集してから、800字や1600字の小論文を何度も書き直して、慶應に無事合格することができました。

―今まで、日本に来たことはなかったのですか?

毎年、夏に日本に来る機会はありました。ただ、母方の実家に遊びに行くことが目的だったので、東京や都会に出る機会はあまりなかったんです。東京や神奈川の方に引っ越してから、人々の間の絆をまったく感じなくなりました。日本人は「思いやり」を大切にすると思っていたのですが、相手のためにドアを支え合うなどの些細な行為がなくて驚きました。

一番驚いたのが、日本人の間ではサブカルチャーは批判するターゲットとなっていたことです。海外の若者はアニメや漫画を通して日本を知っているのに。それ以外は、武士や寿司などという限定された文化しか知れ渡っていません。人気のある日本のアイドルが世界共通で人気があると勘違いしていた日本の人が多かったです。

スノーボードと株式売買

―大学に入ってからどのような活動をされていたのですか?

大学に入学してから様々なサークルを体験してきました。その中で、活動重視のサークルを選び、スノーボードと株式研究のサークルに入部しました。経済新人会も大学1年の間所属していましたが、現在の問題の分析に重点をおいていて、それらの解決案を評価しないことに疑問を持って退部しました。

―株式研究ですか。どのような活動をされているのですか?

株式研究会では、企業分析をしたり、証券外務員2級の試験に向けて勉強したりしています。野村證券のバーチャルトレードを通して、実際に株式売買を体験してから、金銭的に余裕のある人は、実際のトレードをしています。僕は株に何らかの法則があると感じたため、勉強中で、将来は株に関する職業に就きたいと思っています。

―なるほど。いつから経済に興味を持ったのですか?

小さい頃の目標は医者でした。ところが、高校に入って医者の家系の人に出会い、現実的な話を様々と教えてもらい、自分が抱いていたのは甘い幻想だと思い知らされました。また、高校の授業の生物学にもあまり興味が持てなくて、一時期自分の方向性見失ったんです。高校4年生になって、経済学の授業で、最も時事的な問題対して非常に高いレベルで分析を行っていました、それで経済に魅力を感じるようになり、大学では経済学を学ぶことに決めました。

―それで経済学部に進学したわけですね。今日はありがとうございました。

Palos Verdes Peninsula High School :
http://www.pvphs.com/

インタビューアから一言
洞くんとは一緒の高校や予備校に通っていたのにもかかわらず、これまであまり話す機会がありませんでしたが、今回のインタビューを通して、色々と話を聞くことが出来て新鮮でした。日本人とアメリカ人のアイデンティティで揺れながら、悩みも多かったことと思いますが、それを乗り越えて変化を恐れずに、自分の道を明確にしているところに強さを感じました。将来を見据えて勉強をしていて、私も負けないように進んで行きたいです!

interviewees_s_59_profile.jpg 矢田部洋子。1991年山口県生まれ。生まれてすぐ日本国内を転々とした後、5歳まで3年半マレーシアで過ごす。帰国後しばらく東京の学校に通うが再び海外に。高校4年間をアメリカのカルフォルニア州で過ごし、Palos Verdes Peninsula High Schoolを卒業後帰国。現在は一橋大学経済学部2年に在籍。幼い頃から美術が好きで、大学では書道会と創作同好会に所属している。